夏目漱石 『吾輩は猫である』 ISBN:4480021612

寝物語にとても良い。冗長で、いろいろと他愛のない事件が起こるにせよ、世界が平和である。ので、いつでもどこでもすぐやめられて、しかも、眠りを誘う。かなしいことに漢文に対する造詣の深くない私にとって、注釈はかかせない。ちくま文庫版の注釈はしかし、とてもうるさい。笑いをとっている文章で笑いの解説をしてどうするのか。韻を踏んでる、とか。気勢のそがれること甚だしい。
多少病的である。という指摘は既に数多くなされているが、そういう視点をふと持つと確かに恐ろしい。始終誰かにみつめられている。となりの学校の生徒がうるさいのも近所の金満家の陰謀である。等等。戯画化や滑稽味のなかにそれらは隠されているせいで、気が付かないように読むことは可能である。
しかしラストは、ひどくかなしい。それは作者によって、唐突に、戯画化された世界そのものが否定されるからなのだろう。あー、奥泉光 『「吾輩は猫である」殺人事件』ISBN:4101284210 が読みたくなった。

深巳琳子 『沈夫人の料理人1』 ISBN:4091854931

お金持ちに買われてきた天才料理人と、その家の主婦とのSMな関係が話題のお料理漫画。主婦であるところの枕夫人は、おいしい料理を食べることが何よりも楽しみで、新しくやってきた料理人に無理難題をふっかけては、料理人の様を楽しむ。いびればいびるほど面白い料理を苦心惨憺の体で考える料理人を眺めることそのものが料理をおいしくする、というのに加えて、本当に料理がおいしくなる、というのもあるのらしい。

で、いろんな感想文にSMな関係、とあるのだけれども、この漫画にはそういうには少し違和感を覚える異様さが、ある。SMな関係をプレイしているのではなくて、だって本当に、主人と奴隷なのだもの。というと、「これこそ本当のSM」みたいな言い方になってしまってよろしくないけれども、おそらくそれに、すこしちかい。奴隷制を描いているから異様、なのではないけれども、奴隷を持つことがあたり前の世界において、SM的な関係の中に存在する愛情みたいなものはいっさいない。お互いの依存関係もないけれども、「そうしないと殺されるから一生懸命おいしい料理を作らなければならない」立場にあるはずの料理人はそれをこえて「奥様」にまぶしい眼差しを注いでいる。それはもう単純に、馬鹿である。
この種のものの常として、料理なんか別にどうでもいい。どちらかというと天才漫画。でも、これほど情けない天才も珍しかろー。という訳で、なんか目がはなせない。

『アマデウス』 ASIN:B00007IGAY

モーツァルトなんて聞かないだろう普通。というところで話を終わらせていてはやはり、いけないらしいのだった。サリエリが「モーツァルトを殺したのは自分だ」。と、独白するところから物語は始まる。天才と、努力家でありわずかばかりの才能を与えられた凡人。との対比は、凡人の側に視点があることから物語は終始、手に入れられないものに対する切望が底を流れ、哀しいながら、それでいてどこかいとおしい。「彼の天才を理解できるのは自分のみ」という状況がそれに、拍車をかける。モーツァルトサリエリの『レクイエム』作曲のシーンは必見。

曲が流れる時に、その曲のどこがすばらしいのかを解説してくれるので、安直にも曲がすばらしく聞こえてしまう。さらに、歴史的な背景も学べてしまうので、モーツァルトの曲を聴きたくなってしまう。そういう意味で、監督の意図は成功してるのではないだろーか。

矢作俊彦 『ららら科學の子』 ISBN:4163222006

学生紛争を、決して懐かしさをこめて語らず、かといっておちゃらけてみせるわけでもなく、重さも軽さもかねそなえた過去として描きつつ、現在を抑制のきいたまなざしで遠くから眺めてみせる。『あ・じゃ・ぱん』のように、けむにまきつつわらかすのでなく、『気分はもう戦争2』のように、ある種の下品さを漂わせつつ現代を描くのでもない。作品を、まじめにかいてもかけるじゃないか。

なんかもー耳にたこができらぁってくらい聞かされた「長嶋にバントをさせた川上の話」もきちんとでてきていて、しかもしかもきれいに(ようやく)決着がついてる。 『スズキさんの休息と遍歴』を超えた。と、いえるところが重要なのだろー。まちがえなく今年度ベスト。って今年度の本全然読んでないけども。

私はあまり矢作俊彦の作品を読んでいないので気が付かなかったけれども、これまでの作品の登場人物が至る所に顔を出していて、ファンにとってはそういう意味でも楽しめる一冊になっているようだ。さておき、四方田犬彦が『ハイスクール1969』で、おそらく 1960 年代に対する決着つけているのと対をなしているように見えてしまうのは、気のせいではないと思うのだ。

追記:女子高生云々のくだりは的外れなので削除。おじさんの描く女子高生としてはこんなものだろー、くらいのつもりで書いたのだけれども、どうもそうはよめない。

せがわまさき 『バジリスク-甲賀忍法帳1』 ISBN:4063461971

唐沢俊一がベタほめしていたのでかってみたのだった。たしかによい。でも原作の方がよかったと思うのは、唐沢も指摘しているけれども、それぞれの術の説明が省略されてしまっているところで、あの、山田風太郎の無理そうに思える説明でも、やっぱりあった方がそれなりに納得して読んでいたと言うことがよくわかる。それと、絵にしてしまったことで、その絵が、これはありえないだろーっと、ささやく。単に想像力が貧困なだけだったんじゃあないか、というのかもしれないが、さておき、山田風太郎の説明でありえたと思ってよんでいたというのも問題があると思うけれども、でも説得力、という意味では、ないながらも、やっぱりあったのだ。ということがわかった。それは別段どの絵を見せられてもやっぱり絵を見せられた地点で、なくなる現実味というのが、術の荒唐無稽さ故にあると思う。そこのぶぶん。でもおもしろい。
んがっ、どーでもよいと思って読んでいるふしがあって、原作でもそうだったけども伊賀と甲賀の区別が付かなくなる。はっはっはっはっは。

山之口洋 『オルガニスト』 ISBN:4101014213

話の内容に反して書き方がずいぶん落ち着いてるのは、作者の歳のせいなのか。『ムジカ・マキーナ』とこれを比べる人が多いけれども、圧倒的に『オルガニスト』の方がすまーと。そして、『ムジカ・マキーナ』が読みにくい、という人も割といて、それはたぶん、文章そのものが発する情熱みたいなものが、過剰であるせいなように思える。んで、なんとなく、作者の年齢の差を比べてみたくなってしまった。安直にも。おそらくその、「下手さ」ともいえてしまうようなじょうねつてきなかんじー、というのが、『オルガニスト』には足りてない。話の内容に反して。それがなんだかひどくもどかしい。
そのむかし、どこかで池内紀が『ファウスト』を評して、ファウストの持つ欲望をはらむ何かが、老人のそれではないと、枯れてきた今になって思う。というよなことを書いていて、なんとなくそれを思い出してしまったのだった。昔はそんなことはあるまいと思っていたけれども、物心ついて以来、年を重ねるごとにそういうことはあるかもしれないと思えてくるのだった。

文庫化にさいして本書は、なんと、語り手の人称を変えてしまったそうである。解説者の瀬名くん曰く、それが非常に効果的、なのだそう。そしてそれは、著者の作品制作の姿勢そのものにも何か影響を与えていることのようなので、文庫で読まれるべきものようだ。てーか、なんかすごいけどな。

高野史緒 『ムジカ・マキーナ』 ISBN:4150306931

キャラクターとか、なにものかに迎合してるんだろーか。と、思ってしまうんだけれども、してないんだとすれば、こゆ、べったべたな、たとえば「無垢でかみがかった幼女」みたいなのがなんで出してくるのかよーわからん。単純に?ふくむところなく?すきなの?。というのは、何かエロゲーでも眺めているよな気持ちになってしまうのだった。乳首とか陰毛とかすかさなくったってて思うのだが、捨て身なのか。それとも揶揄ってるのか。はたまた私の見えないたかみに何かあるんだろうか。

せっかく時代描写が細かくありながらも現代と交錯させる、というのを成功させているし、なにやら意味ありげな台詞とかあって、次作への伏線なのか何かわからなけれども、その辺もっとどーにかならんかったのか。という気がとってもする。その緩やかな交錯のさせ方っていうのが芸風なのかもしれないけど、なんかもったえない。というわけで、(高野史緒ものはあんま手に入らないみたいだしー)次はオルガニストか。山之口洋