四方田犬彦『回避と拘泥』ISBN:4651700624

「はじめて日本語を褒められた日」という題名で文章を書くことができた人間がこれまで存在したとしたら、それはいったい誰であっただろうと想像してみる。それは一六六九年のシャクシャインの戦いの後に日本への帰順を強いられたアイヌの酋長の若い息子だろうか。今世紀の初めに日本語で教育を受けた、台湾の女学生だろうか。あるいは一九四八年の済州島の大虐殺を機に祖国を逃れて日本に密入国した韓国人の青年だろうか。そしてそれは、近い将来に日本に在住する外国人が執筆するであろうエッセイの題名となることだろう。あえてこの題名をアイロニーとして我が身に引き受けることで見えてくるものを、わたしはこれから思考していきたいと思う。日本人の内側にとどまりながらも、あたかも日本人でないかのような視座を保ちつつ、生起するいっさいを批評すること。日本語をさながら外国人のように書きながら思考すること。こうした作業を通してわたしが回避に成功し、拘泥に陥ってしまうものが何であるかを篤実に見定めていくことから、わたしは日本という問題に改めて向き直ってみたいと考えている。

高校生のころに橋本治に傾倒して、思わず家出をしてしまったりした人が世の中には多いのだということを最近になって知った。私は四方田犬彦には傾倒したのだけれども、不幸にも幸いにも大学生になってからのことだったので、さすがにパン屋さんで卵を割ったりはしなかったのでした。私はこの文章の最後の部分がとっても好きで、日本という問題ではなくても、それは注意しなければいけないことだと思ったのでした。

もちろん日本で生活していれば、日本語を褒められるなどという状況を想定するのはむつかしい。本書には筆者が本当に日本語を褒められた経験が二つ書いてあって、一つは韓国で在日韓国人から(韓国人と間違えられて)。もう一つはコロンビア大学に、当時皇太子妃だった皇后がお忍びでやって来たときに、二世と間違えられて褒められた。というものらしい。

はじめて読んだときの感動が過ぎた後に理解したことは、回避するというのには二つの意味があるということ。それは、意志によっては変えがたいもの(性別とか過去とか)以外の属性は持たないように気をつける。というものと、あえて、ある種のグループに飛び込むことをして、とらわれてみたのち、それでもなおかつその集団の中で、ある種の連帯感や熱狂のなかに身を投じつつも、個人的には回避することを実践する、というもの。もちろん、生きてゆく上で前者をつらぬくのは難しいし、そもそも、上で語られている「回避」はそちらではないので、話の主眼は後者に絞られるべきなのだろう。たとえば、学校や、人の集まりやそのグループの持つ連帯感のようなものがどうしても生じる。その渦中にありつつ、その連帯感めいたものを意識(相対化)し、かつ、必要に応じて場の勢い(熱狂)に流されない、というのが「回避」というものの意味なのではないかと思う。

「外国語のように日本語を使う」というのは、よく使われてるいい方(id:Ririka:20031118)だけれども、たいていは文意をくみがたいことが多い。でも、上の意味で使っているのならわかる。しかしながらそういう使われ方をしているのは少ないような気がしていて、また、そうであっても、それは、突き詰めて考えると「文体に気をつける。言葉の使い方に気をつかう」という次元の話といったい何が違うのかわからない。どちらにしろ、たいした話ではないと思う。

上で引用したのは、本書の『はじめて日本語を褒められた日』というエッセイの終わりの部分。1994 年に書かれたもの。