ジョン・ヴァーリイ 『ミレニアム』 ISBN:4047911615

短編集『残像』 ISBN:4150103798 のなかの『空襲』を引き延ばして書かれた作品で、同名の映画が作られている。そちらは脚本がヴァーリイ。『スチール・ビーチ』 ISBN:4150110689 がなんかながーい。と感じてしまったのに対して、こちらはそうは感じない。たぶん物語を理解するのに一生懸命になってしまったせい。物語における視線は、人類が滅亡しそうなところで生きてる女性と、1980年代のアメリカの男性の間で行き来する。さらに、タイムパラドクスを扱った小説らしく、事の生起した順番もやや、前後する。話は多少、わかりにくいし、ひねくれた愛情は普通のハッピーエンドをもたらさないけれども、それでも、そのひねくれ方がとても好ましい。ヴァーリイは、よのなかの「しかたなさ」みたいなものと抑制のきいた性に関する話題の描き方がとてもうまいと思う。長編の中では一番好きだなー。

ウェブの感想文読んでると、ヴァーリイは作品の中で遊ぶのが好きだという意見が聞かれることが多いみたいだけど、単に、いじわるなだけだとおもうのだけれどもなあ。それでいて、いろんなところに適度におおざっぱなところとかが、逆に、作品の中に生活感を生み出すことに成功していて、すごく好きなんだけどなあ。って、何も語ってないけど。

どうでもいいが、SFの人の書評って、この作品はSFであるという宣言を繰り返すばかりで、なんの毒にも薬にもならないものが多いような気がする。どこにでも頭の足りてない人はいるけれども、思考停止ワードとしてのSFを使うのってやめた方がいいと思うんだがってこんなとこで愚痴っててもしょうがないんだけども。

京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』 ISBN:4061822934

どうも作中人物がほとんど実在の人物をもしたものであるらしいのだけれども、主要な登場人物の内の一人が現実世界でお亡くなりになってしまったらしく、生とは、死とは、をめぐる比較的ナイーブなお話に終始しているのはそのせいなのかもしれないし、刊行がずいぶん遅かったのもそのせいだったのかもしれない。

一連の京極堂シリーズの中では処女作のうぶめと対になるように書かれてる話だというのは、まあ、そうなのだろうけれども、それにしてはインパクトたりなーいと言ってる人をよく見かける。曰く、あの憑きものをおとされた感じがない。ミステリとゆーものはなんか、おっきい事件がどっかーんと起こって、そんな、予想もしなかった、というようなすっきりとした解決方法を探偵が提示してくれるものを望む人が多いらしい。

が、しかし。「探偵は、事件が起きるまで探偵ではない」というそれだけで私は許せてしまうのだった。何かミステリを内側から破壊するような工作がすすめられているような気がして仕方がないのは、まー、きのせいなんだろうなー。というわけで、
犯人ははじめからわかっていて
事件は起こらずに
探偵は探偵であるが故に事件を未然に防ぐことはせず
しかしながら惨劇は起こってしまう。
なんかそんなお話。

『シカゴ』

『All That Jazz』をみて、ボブ・フォッシーに傾倒してみたりー。

世の中も(裁判も)結局のところは、ショービジネスなんだよ。というのが映画のいいたいことらしーが、ストーリーはさておき、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの存在感は圧倒的(単に顔がこのみなだけか?)。歌も踊りもお上手。レニー・ゼルウィガーは、マリリン・モンローを彷彿とさせるには体に妙な迫力がある、という意味でもキャサリン・ゼタ=ジョーンズに負けているのが残念。それは役柄が、馬鹿だけれどかわいいだけが取り柄の娘さん、というので、なんとしてでもなにかを手に入れようとするヴェルマとのインパクトの違いのせいなのかもしれない。リチャード・ギアは、敏腕でマスコミ操作にたけ、世間のイメージはとてもよいけど金に汚いだけの弁護士というのに適任だったよーにおもえる。なんか、笑顔が。そして老いが。

ミュージカルを映像で見て果たしてどこまで楽しいか、は、ふつうにやれば確かに疑問だが、現実と、妄想であるミュージカル部分がフラッシュバックするのでそれなりにみせている。とりわけ、処刑台にあがるときの女囚人の悲壮さと、それを、バレリーナによる縄抜け、として観客が拍手喝采で迎える場面の悪趣味さは、でも「結局、世の中ショービジネス」って部分を映像として見せていて、一見の価値はあり。というところか。

ただし原作のミュージカルよりは、やはりハリウッド映画になるなりに上品にされてしまっている部分があるらしく、原作のミュージカルの方も見てみたい。というのが感想なのだった。「あんたなんかセレブじゃないわよ」って。女の子はいつの時代もセレブになりたいらしい。
しっかし、ルーシー・リゥっていっつも怒ってばっかいるような気がするが気のせいか(みんなみんな怒られたいのか?)。

酒見賢一『語り手の事情』 ISBN:4167656108

何でかこれをエッセイだと思っていたのだけれども、メタフィクション。もっとも著者はそれを否定しているけれども。しかしながら、メタフィクションではありません。恋愛小説です。というのはやはりおかしい。メタフィクションであり恋愛小説だと思う。

物語は、物語の「語り手」が現実に存在する世界において、その「語り手」の語っている物語であるという形式で展開される。「語り手」は、とある屋敷にとどまっており、そこには性的な妄想を抱えた人々が訪れる。たとえば、童貞の時にはやっさしい淫乱のおねえさまが性の手ほどきをしてくれると信じ込んでいる少年、女性になりたいおじさん、など。妄想を抱える人々が、屋敷の亭主に屋敷に招かれ、「語り手」にそのことを話し出すというところから各話は始まる。「語り手」の人称によってつづられる物語は語り手の見聞きしたものに依拠して展開されるが、途中、「語り手」が「語り手」であることの不自由さについても言及される。しかしながら、メタフィクションと称するには、たしかにいささか話に深みがなさすぎる。

酒見賢一は割に単純に、(べったべたの)恋愛小説かくのが好きなんだろーなーと予想する。『後宮小説』があんまりにこどもこどもじみているなら、『語り手の事情』はさしずめそれの大人版というところであろーか。でも、後宮を題材にしつつ性愛小説になっていない小説を書いてしまうところとか、性愛や、性的妄想について語りつつも一向にポルノ小説とは読めないような小説を書いてしまうのは、それはそれで興味深いのだけれども。でもなー。おちがあいってゆーのがなー。